2018年無職の旅

2018年9月〜2019年3月 無職期間中の旅。その後も。

尾去沢鉱山(秋田県鹿角市)〜盛岡城(岩手県盛岡市)

以前行った新潟の新発田藩と同じく、奥羽越列藩同盟を脱した秋田・久保田藩。佐竹氏は関ヶ原後に常陸から秋田に転封されて石高も半分以下に減らされたし、徳川恩顧どころか・・・などということを考えながら、鹿角へ向かいます。
秋田から在来線特急→大館で在来線のりかえ。
途中の車窓の風景で、八郎潟など。

川?の向こうが潟。

水田用の平地が広々と続きます。ちょうど田植えの時期でした。ここから美味しいお米ができるのかと。
天災など遭わず、日照に恵まれ、適度に雨も降り、豊作でありますよう。
と、人生最後の食事は、炊きたての白ご飯でありたい人間は思いました。


尾去沢鉱山へは、鹿角花輪駅からタクシーです。2000円弱で行けました。

鉱山のある場所は、標高300mくらい。駐車場の日陰にはまだ雪が残っていました。

8世紀初頭の開山といわれているため、開山から1300年。
奈良・東大寺の大仏の造営、岩手・平泉の中尊寺などに、ここから産出された金が使われている・・・といわれているのが興奮するポイント。
明確な記録があるのは16世紀終わり頃、南部藩領下で。11世紀頃には安倍氏の統治で、それまでは誰の管轄だったの?なぜ大和まで?と。出羽柵(秋田城)もおおいに関係しただろうな、と夢想するわけです。

坑道は例に漏れずひんやり。

とても原始的な梯子。

お酒の熟成もおこなわれています。温度ちょうど良い。

こういうテーマーパーク系のお約束、マネキン展示。この空間、生きている人間(私だけ)より、マネキンの方が多い。

興奮ポイントその2は、歴史は関係なく、「自分がここで働いていたら」です。中世くらいの過酷な環境から、近現代の、人権に配慮された労働環境まで。今の自分の仕事(都心のホワイトカラー)と差がありすぎるから、妄想しがいがありますし、多少辛い仕事でも、「あんな狭くて暗くて危ないところで仕事をしている人もいたんだし・・・」で耐えられるようになります。


途中キラキラしたところだとか火薬庫を挟んで・・・

近現代の坑道から江戸時代の展示へ。

南部鶴の家紋。

閉鎖された世界のため、隠れキリシタンが紛れ込む余地があったようです。

佐渡金山にも行ったせいか、やや既視感。それもそのはず、三菱マテリアルがらみで、同じ会社が運営していました。どっちも面白かった。同じ三菱マテリアルつながりの、生野銀山も行ってみたくなった。


選鉱・精錬などの坑外施設の見学は、予約が必要だったので、タクシーの帰りに撮った写真だけ。


駅に戻り、今日初めてのごはんは、駅近くのスーパーで買った馬肉の煮物とおにぎり。盛岡までのバス待ちの間に食べました。馬肉好きとしては見逃せなかった。


盛岡。盛岡城の烏帽子岩。

盛岡城天守址にある、南部 利祥の像の台座。

久保田城と同じく、ここも、平地の中のちょうどいい丘陵。

石川啄木の「不来方の お城の草に 寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」の歌の現場もここでした。十五どころか五十なわけで。


お城の袂にある、もりおか歴史文化館に行きます。

殿様のギフト展、動物モチーフは無敵の愛らしさ。


お城のベンチも南部鶴。ゴミ箱の折り鶴も南部鶴から来てるのかしら。


東京に戻る前、最後に、駅ビルで。岩手のお酒飲み比べセット