陸軍板橋火薬製造所跡 | 板橋区

史跡の範囲は、旧野口研究所跡・旧理化学研究所板橋分所跡・区立加賀公園が対象となる。当地は、明治4年(1871)に兵部省が板橋金沢県邸(旧加賀藩江戸下屋敷平尾邸)の一部を火薬製造所の用地に求め、同9年に発足した官営工場としては日本最古の部類に属する板橋火薬製造所内にあたる。同36年には同所に陸軍火薬研究所も設置された。終戦後、跡地には学校や工場、研究所等が入所した。当地には、板橋火薬製造所時代の煉瓦造建築物の物理試験室やRC造建築物の燃焼実験室、弾薬の性能を実射し検査した弾道管、露天式発射場を形成した土塁や的となった射垜(しゃだ)などの建築物や遺構が現存しており、区は産業都市板橋の原点として位置付けている。また戦後、旧理化学研究所板橋分所にはノーベル賞受賞者が研究室を構え、わが国における物理学研究拠点のひとつとしても評価される。  

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